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翻訳書で研究するということ

英語の《reciprocation》と《recursive 》とではだいぶ違う語だと思う。品詞の違いはともかく意味が全く異なる。相互的行為と(帰納法的な)再帰的なこと。 ところが、ある本——もはや専門書と一般書の区別が曖昧になり専門書という商品ジャンルは絶滅したのではないかと戸惑っている——での、触覚神経受容体に関しての重要部分が、前者を再帰的と訳している。話が、神経伝達とロコモーションから社会での集団性、個体の相互性に飛躍する箇所だ。ちなみに原著者は、猿人は利己的で私利私欲と悪巧みに満ちているので個から集団の複数性共同体へと開かれないとしている。わたしは真っ逆さまに、人間社会だけがそれに相当すると考えている。 訳者はお疲れになっていて、原語を見間違えたのだろう。辛い仕事だしよくあることだ。 ほんとうに心配なのは、日本の有数の国立大学大学院でも、英語の原書購読しか残らなくなっている現状。 米国のように、哲学のような分野でも、全部英訳書で読み研究して書く時代が来るとどうなるのだろう。 あらゆる哲学は哲学史であると考えているわたしにとっては、継承の断絶という大惨事が来るのではと恐ろしくなることだ。 西欧中世の暗黒時代のあと、またルネッサンスがあるのだろうか。そこまで数百年人類が延命して生存していて地球も生命圏であるとしたならばの話だが。 COVID-19によるロックダウン。各国の経済活動始め、社会や生活のあり方を数ヶ月、これだけの規模にしただけで、パリやニューヨークに生命多様性biodiversity が戻りつつあり、なによりもかの北極圏のオゾン・ホールが確認以来最小にまで閉じたという驚愕すべき出来事が起きた。 元の話に戻れば、ドイツ語、フランス語、中国語(漢語)をやっていた世代よりも、いまの日本人は英語がすさまじくできない。(カタカナ語ハ氾濫猖獗ヲ極メタリ) なぜ英語教育、「国際化」(変なことばだ)を国是のように謳ってきた国でこのようなことになったのか。 英語教育が根元にある。 英語教師を目指す者たちはどのような者だったか。 英語学を研究しようという者は、英語をツールになにか別の目的を遂げるというごく当たり前の英語に対するあり方である。つまり、目的は英語(史ほか)を学ぶこと、英語(史ほか)をもっと知りたい、だから英語を学ぶ。 絶滅危惧種となってしまったが、フランス語でも古仏語(中世)や16世期、17世期フランス語の専門家は学生時代から飛び抜けてフランス語ができて、それ以外も同級生より遥かに多様に学び興味をもっていた者が成る特別な者たちであった。 あるいは言語学はどうだろうか。言語学者は作家や批評家よりも美しく正しいことばを使うだろうか。 英語教師は物理学者よりも英語が得意であろうか。 英語教育に取り組む集団の悪循環のような再生産の繰り返しも、日本人が飛び抜けて英語が上達しないことの原因のひとつだろう。 持論はあるが、また暇な時に気が向いたら。 ところで、自主ロックダウンを長くしていたので、知り合いへのご報告。 二十年前に、ケモラジオ治療と大規模郭清術を受けてから、リハビリもしないままに、社会に戻ってしまいました。 少し落ち着いた時間をもち、ようやく整骨院に通い始め。 腰椎九番はすぐに治してもらえました。 懸案の頸椎一番が、先日奇跡的に治り。 ホーリスティック治療医学に関心をおもちの先生。 なによりも触診と、手技での緻密な矯正(治療)が驚異的な名医に偶然にもお世話になることになったおかげでした。… Lire la suite « 翻訳書で研究するということ »